井上剣花坊(いのうえけんかぼう)、明治3年山口県萩市に生まれる。
小学校代用教員を経て、新聞記者となり1903年、新聞「日本」に剣花坊の名で
新川柳の選者となり活躍。
狂歌と云われていた古川柳を、正岡子規が提唱した新俳句に抗するように新川柳を世に出し、川柳を
時代に乗せようとした。
川柳中興の祖と云われている。
1934年9月、脳溢血で倒れ仮遇の鎌倉建長寺で死去した。
歌碑の川柳は大正天皇御大典の時の句と云われている。
天皇旗を目の当たりにしただけで咳一つない静寂さの中でひれ伏す平民のの姿が目に浮かぶ。
天皇以外は皆平民で、自由であり平等である剣花坊の美意識が詠まれていると云う。
(出展 フリー百科辞典『ウィキペヂィア』、川柳革新の出発(石部 明)